北山賢一工人の手紙

友の会のみな様こんにちは大分ご無沙汰しております。

《伝統こけしについて》 伝統こけしとは、文化として見てください。
伝統の継承はその地方に根ざした文化となり、その地方の生活が根底にある時代背景があるこけしが良いこけし!
維持することは大変難しい、技術が上がっていくと内面から出て来るものがどんどん薄れ、技術だけが表面に出て、味のない重さのないこけしになってしまいます。

古人はローソクの明かりの中で作り、描写し、物資の少ない田舎の生活は楽ではない時代、そんな中でこけしを作ると、単なる素朴さだけではなく、孤独感もこけしに出てくるでしょう。
その典型が木地山の小椋久四郎、土湯の阿部治助です。
私は薄暗いローソクの明かりの中で、必死に何かに堪えて一点を見つめている、そのような表情のこけしということで作っています。
伝統こけしとは技術を売るものではないことだと思ってください。

これは東京こけし友の会の例会で紹介された、木地山系こけし工人北山賢一さんの手紙の一部だそうです。月並みな感想になってしまいますが、一言一言が心に染みますね。特に「技術が上がっていくと内面から出て来るものがどんどん薄れ、技術だけが表面に出て・・・」という部分はこけし作りだけに限らず、また作り手だけではなく鑑賞者(使用者)に対しても当てはまるものだと思います。

北山賢一工人が作りたいこけしは時代背景を感じるこけしであるということを以前何かで読んだことがあったのですが、今回この手紙を拝読させていただいたことで工人がこけしに込める思いをさらに知ることができたように思います。それを踏まえたうえで、今日は改めて手持ちの三体(このブログではまだ二体しか紹介していませんが)をじっくりと眺めてみます。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA