久しぶりにノートに書き写した言葉(文章)

こけしははじめ子どものおもちゃとして作られたものだが、古い工人たちは不思議なほどフォルムの感覚が鋭く、色感に豊かで、また顔や描彩がたくみである。ことに描彩の点では毛筆の技術とデフォルメの効果とを十分にこころえていて、一昔前まで保存されていた日本人の美意識が素朴な木の人形から伝わってくる。それは大正期からはじまった童画的世界ではなく、おとなが民族の美意識を、おもねることなく、直接子どもに示し、与えているのである。大げさにいえばここに昔のきびしい教育思想がある。

これは土橋慶三氏が著書こけし工人伝の中で「伝統」について述べる際に引用したもので、引用元はこけし手帖104号で小林昇氏が語った「日本人の美意識を伝えるこけしとその工人たち」。土橋氏はこの引用の後で次のように続けています。

木地屋の木地の修練にしても、単なる木地挽きの知能的技術ではなく、木地屋の精神(木地屋魂)と木地屋のもつ鋭い感覚とが結びついたものだ。それは現代人が考えているような単なる技術ではなく、むしろ技能と呼ばるべきものだ。またフォルムにしても、描彩にしても、現代人のような手先の器用さや頭だけで図案化した方法と、全く対照的な違いがあるのだ。

知能的技術ではなく、精神(魂)と鋭い感覚とが結びついた技能。その根底にある民族の美意識。これはこけしについての伝統論ですが、他の伝統工芸や職人の世界にも通用する部分があり、さらには使用(鑑賞)する側も持っていなければならない感覚や意識でもあると思いました。

ちなみに土橋氏は1981年2月に亡くなっているので、文中の「現代」とは30年以上前のこと。当時ですら危ぶまれていた伝統はこの30年の間にどれだけ正しく継承されてきたんだろう。そんなことを考えながら上記二つの言葉(文章)をノートに書き写しました。

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