ダサかっこいい

ものの選び方や基準は様々ですが、自分が使っているシーンを想像するというのもそのひとつですね。オイラも例に漏れず、というか人一倍その傾向が強いです。

ただ、たぶん人と違うだろうなと思うのは思い浮かべるシーン。多くの人はいわゆる「素敵」なシーンを思い浮かべると思いますが、オイラの場合は使っているものや自分がダサく見られているシーンであることが多いです。でもそれはものをうわべでしか判断できない連中がそう思っているのであって、オイラの使っているものは分かる人だけが分かる逸品。ということは、それを使うオイラも「違いのわかる男」になるわけで・・・。というパターンw

と、想像を通り越して妄想になっちゃってますけど、要するに外見からして「いかにも」なものにはあまり心が動かず、地味な外見の中に実力を秘めた「ダサかっこよさ」に憧れるようなところがあるんです。

ちなみに「機能美」という言葉がありますが、それを辞書で調べてみると

建築・工業製品などで、余分な装飾を排してむだのない形態・構造を追求した結果、自然にあらわれる美しさ

とあります。しかし例えばこの機能美を何の前置きもなしに目にした時、それを「美」と感じる人がどれだけいるでしょう。そう考えるとオイラの感じる「ダサかっこよさ」も一種の機能美なのかもしれません。

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