日記に記される二つの風景

新しい年になるとそこから何かを始める方も多いと思いますが、その代表的なもののひとつが「日記」ですね。日記は文字通り「日々を記す」ものですから自分の歴史としてかけがえのないものになりますが、それとは別の面白さもあります。

それは「風景」。

日々を記すことは自分というフィルターを通して見た(感じた)一日を記すということでもありますから、例えばまったく同じ場所で同じものを見てもその視点や感じ方が違う。つまり見えている「風景」が違うんですね。そしてその記し方も様々。何に(日記帳、手帳、ノートなど)、どうやって(文字、イラスト、写真など)記すかが人によって違い、そうやって出来上がった紙面にもそれぞれの風景が生まれます。

今年のオイラの日記はシロクマノートに文字で記しています。今年はまだ4日しか書いていませんがぎっしりと埋まっている日もあれば余白が残る日もあり、筆記具やインクの色が違うこともある。無地用紙なので文字サイズに統一感がなかったり行が曲がっていたりもします。でもそうやって記された紙面には内容とは別の意味での風景ができあがっています。つまりそれぞれのページには内容的な風景と紙面の風景の二つが記されているわけです。

手帳の中身紹介などで見るイラストや写真を使った紙面には確かにオイラも憧れます。それを見ると自分の日記はなんて殺風景でつまらないんだろうと嫌になったことも一度や二度ではありません。ただ文字で表現されたページにもちゃんと風景があり、それは自分だけが表現できる風景なんですよね。下手な字も風景の中の重要なパーツの一つになっているんです。もしイラストや写真を取り入れようとするならば、その練習過程にも立派な風景がある。つまりどんな方法であっても日々を記せば必ず風景が残るわけです。

日記というのはどうしても構えてしまうところがあって、理想も高くなりがちです。でも自分というフィルターを通してしか見えない(感じられない)風景と紙面の風景は意識しなくても(むしろ無意識の方が)自然と記されます。始める人も挫折する人も多い日記ですが、そこに記された自分だけの風景を楽しむことができれば続けられるような気がします。(隣の芝生は青く見えるものです)

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